上戸彩がすべてCGで隠した体の部位とは…
米倉涼子がコンテストの賞金をもらってまずしたこととは…

メレンゲの気持ちは1996年から放送が始まって、2015年4月で20年目に突入。
ということで、2015年3月28日の放送は超プレミア映像大放出スペシャル。

上戸彩 体当たりの撮影秘話

2004年4月10日放送(当時18歳)
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昔から芸能界に憧れていたわけではなかった。

友達がエキストラをやっていて、テレビに出ているのがうらやましくて
「私もテレビに出てみたい!」
と言ったのがきっかけで、母親が履歴書を送ってくれた。

特に女優とか歌手になりたかったわけではなく
画面に映っている自分を観てみたかった。

送ったあとはトントン拍子で、次の月からレッスンが始まり…

だが、父親は反対だった。
エキストラの仕事を何回かやったことがあって
大変だということを知っていたので。

しかし、両親とも応援してくれるようになった。

当時ケガが多かった。

2001年のドラマ『3年B組 金八先生』では性同一性障害をもった生徒役を演じたが
中身が男だったので、男子と対等に喧嘩をするため
殴られたり、突き倒されたりした。

つかみ合っただけで親指にアザができたり、ビンタでほっぺたが腫れ上がったり。
1ヶ月アザが落ちなかったりしたこともある。

2003年の映画『あずみ』で主演した時には、激しいアクションを演じたが
みんなこれから頑張るぞというアクション初日のワンカット目のテストのとき
おでこを刀で切ってしまった。

とにかくデカイたんこぶができて、映像ではそれをCGで全部消したらしい。

2004年発売の写真集



米倉涼子 キャンペーンガール時代の前後

2001年2月3日放送(当時25歳)
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高2のときに同級生が国民的美少女コンテストに応募し
審査員特別賞を受賞したことが、芸能界に入るキッカケ。

賞金は50万円。高校生にとっては大金。
そこで、小さい頃からテレビで観ていてやりたかったことを実行した。
現金を家に持って帰って、台所でばらまいた。

応募してくれた友達が応援してくれていたので
一緒にステーキとか食べに行って残りは貯金した。
その金は、生活が大変なときにおろしてしまった。

その後、雑誌モデルを経て、企業のキャンペーンガールを務めた。
キャンペーンガールは大変だった。
キャンペーンガールはある意味営業マンだと思えと言われた。

イベント会場とかに行って
「一緒にポラロイド撮りませんか?」
と自分から声をかけたり
「ポスターにサイン書きますからもらって下さい。」
などと言うことが多かった。

断られても
「いいじゃないですか~」
という感じで。

さんまの『恋のから騒ぎ』では、女の子と喧嘩した。

おごってもらうことが当たり前だと思ってデートに行くのが信じられない
というのをキツく言ったところ、引くことができなくなり
「米倉さんのことあんまり好きじゃないし」と言われて
「大いに結構#」と言ってしまった。
後で後悔したが、いい勉強になったとのこと。

2000年の米倉涼子

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