一番最初に作った思い出の靴をスタジオで公開。久本雅美にバッグをプレゼント。私生活として靴工房、オフの日を公開した。
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初登場。靴職人。横綱 貴乃花の息子。両親ともに似ている。
初めて1年目くらい(19歳のとき)に作った靴を履いてきた。
子供時代
現役で弟子がいる特殊な家だったので、極端に良い子だった。
幼稚園の先生が母親に言った言葉が「ケンカをさせて下さい」
ヘニョヘニョしていた。喧嘩の仲裁に入って殴られて泣くみたいな。
父親からの誕生日プレゼントがサンドバックだった。
18歳で靴作りの本場フィレンツェへ。職人の下でおよそ3年間修行。
現在は東京で工房を構え、完全オーダーメードで革靴を作っている。
すべての作業を1人でこなしているため、こだわりの靴は予約1年待ち。
靴職人を目指したキッカケ
いろいろな方に使ってもらいたいとか、なるべく多くの人が使う物だからとかあるが、結局何でなったのか当時を考えると、人と人が付き合うみたいなもので「何で好きなの?」「わからないけど好き」みたいな。
アメリカに留学していたが、日本人はすぐにアメリカにかぶれる。
礼儀を忘れたりする日本人を見てすごく腹立たしかった。
なるべく多くの人が使う物に日本人の魂を入れれば、日本人ってこういうものとわかってくれるかなと思って。
なってから気づいたが、相撲も足の裏しか地面につけてはいけない。
靴も地面と足をつなげる唯一の物。縁があったのかなと思う。
靴職人への両親の反応
母親は怒り狂っていた。戸惑い。息子を大切に育てて、自分のビジョンもあったのに「あなたまでそんな大変な道に行かないで」
大学には行く気がなかったので、どの職人になろうかなと思っていた。
父親は「筋通せ」みたいな。
「生半可な気持ちだったら先に俺が殺すぞ」くらいの。
↓ 表紙は母親の河野景子。モデルをしている。
花田優一が作った思い出の靴
半年くらいかかって一番最初に完成できた靴をスタジオに持参。
靴の基礎系はパンプス。パンプスから練習する。男の革靴はラインがたくさんある。パンプスは1つしかないので誤魔化しが効かない。
スタートラインに立てたくらい。
反対側が作れなかった。靴が難しいのは、1個素晴らしい靴を作れたとしても、それと同じものを作らないと靴ではない。
毎回ファインプレーをしないと靴にならない。
花田優一が作る靴の値段は15万~20万円。
花田優一から久本雅美にプレゼント
靴を作る時間はなかった。カバンも作ったりしていたので、自分でペイントして靴の余った革で作った。名前を入れてある。防水。
スタジオは「カワイイ」の声。
花田優一の私生活公開
靴工房で完全オーダーメードの靴を作っている。
縫いをしている。木型と靴が釘でつながっているが、中底と革を縫うことによって釘が1本もいらなくなる。
工房にほぼ1日中。採寸や納品、材料買い以外は。2日間徹夜とかある。
オフの日
浅草の革屋 そう(21歳)と飲んでいる。同い年。
素敵な女性に出会いたい。
好きなタイプ
美人で鼻声の女性。
鼻にかかっている人ではない。女性の鼻声を聞くとキュンとしてしまう。
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