素顔、バブリーメイク術、趣味の絵、自宅の赤い衣装を公開。
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今年大ブレークのバブリー芸人。バブル時代を彷彿とさせるキャラクターでバブルを知る世代はもちろん、若者にも大人気。
2016年のテレビ出演本数は2015年の4倍の74本。
aiko、竹内結子、菊地凛子、オードリー若林など芸能界でもハマる人が続出。
芸人になったのは31歳とかなり遅め。
『バブルはそこまで来ているゾ!』
小学生の時にバブル。
平野ノラ バブリープロフィール
1978年10月20日生まれ
1987年 9歳 ボディコンが大流行
・バレーボールを始める
クラブチームに入った。
・小学生時代は全国大会優勝 中学高校ではキャプテンを務める
クラブチームはすごく強くて、全国大会常連。軍隊みたいな練習をする。
当時はビンタあり。女子もスポーツ刈り。
1989年 全日本バレーボール小学生大会 決勝
東金町ビーバーズ優勝
当時10歳 優勝して涙
1991年 13歳 ジュリアナ東京がオープン
・初めて彼氏ができる
中学1年生。男子バレー部の石毛くん。肉食なのでガンガンいった。
自分が選んだ人を落とすのが好きだった。モテはしなかった。
1993年 15歳 ”お立ち台”が流行語に
・中学の文化祭で主演・脚本としてミュージカル『アニー』を上演
目立ちたがり屋だった。体育会系。ひとりよがりで反応はなかった。
1997年 19歳 たまごっちが大ブームに
・平野ノラ暗黒時代突入
・高校卒業後人生に迷走し転職を繰り返す
経験した職業 ラーメン屋、バーテンダー、不動産業、化粧品関係、宅配便のコールセンターなど
バレーしかしてこなかったので、すぐに就職は違うなと思って、どういう風に生きていいかを定職に就かずに探っていた。
ラーメン屋は店が潰れた。バーテンダーの店も潰れた。不動産屋もなくなった。
2003年 24歳 バブルもすっかり忘れられた
・お笑いのオーディションを受けるも1日で挫折
20歳くらいからお笑いをやりたいと思っていた。意を決してネタを作ってひとりでオーディションを受けに行った。
ダメ出しをすごくされて、帰り道の道すがら、才能もないし相方もいないからやっぱりやめようと思った。
・自宅閉じこもり、絵ばかり描くようになる
自宅で書き溜めたイラスト
・原宿の地下スペースで個展を開く
友達に「個展でもやったら?」と言われて1回だけやった。
3日間で6人。4人知り合い。無料でポストカードをあげた。
2010年 31歳
・当時交際していた男性のプロポーズを断り、再び芸人の道へ
5年付き合っていて同棲していた。
最近はノーメイクでも気づいてもらえる。
素顔はSuperflyのボーカルに似ていると言われる。あまりにも言われていたので、1回スーパーノンフライというキャラで「花束あげたろかぁ」という一発ギャグも。
バブリーメイク術を公開
太眉はアイシャドウで豪快に描く。
アイシャドウは思い切ってベタ塗り。
アイライナーを上下の際に入れる。
休みの日には趣味の絵
最近ハマっているのは名画の塗り絵。
塗るというか描いている。バックとかも自由に自分で描いているのが好き。
大作『三浦大知』
三浦大知を見たときにすごく感動して、その衝撃を絵に描いた。
衝撃を受けたときの自分の顔。
赤い衣装
5着掛けてある。2着直しに出したりクリーニングに出したりして7着ある。
母親が作ってくれる。
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