2016年7月16日放送のメレンゲの気持ちで、ジミー大西52歳が画家としてバルセロナでの暮らし、絵の値段と儲け、整形していたこと、師匠 明石家さんまとの関係、IMALUの子守り、台所がアトリエのわけなどについて語った。
自宅でジミー風チキン竜田作リを披露。

IMALUがジミー大西の思い出について語った。

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20年ぶりに芸能界に本格復帰。伊野尾慧や三吉彩花にとっては画家のイメージが強い。復帰の理由は、描くものがなくなってきたから。

スポットライトを浴びて喋るのに、ちゃんと喋れていない。

天然キャラ”の元祖。萩本欽一に「このキャラが計算だったら天才や」と言わせたが、対談したら「天然やん」

ジミー大西の経歴


18歳で吉本興業に所属。明石家さんまの付き人として下積み時代を過ごし、25歳のとき、その才能が開花。強烈キャラでお茶の間の人気者に。

売れっ子だった32歳のときに転機が。たまたま番組の企画で描いた絵が33万円の高値で落札。

巨匠 岡本太郎からその芸術性を絶賛され、人気絶頂の中、突如、芸人から画家の道に転身。

尊敬するピカソの母国 スペインに渡り、画家生活をスタート、ブラジル、カンボジアなど数か国を渡り歩き、そのオリジナリティーあふれるポップな作品は世界からも高く評価された。

2005年にはボジョレー・ヌーボーのラベルに採用されたり、大型タンカーのデザインを手掛けるなど大活躍。芸人としても画家としても成功した異色な存在。

スペインはバルセロナで暮らしていた。「いくら?」と1から10までの数字だけで。

自炊していた。夜は踊りに行ったりしたが、友達はできなかった。

絵は1枚200万円超えるくらいで売れるが、儲からなかった。1枚に3ヶ月、4ヶ月、5ヶ月かかるので、時給にしたら天ぷらうどん、いなり2つくらい。

整形した。あごを削った。150万かかった。

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下あごが出ているので前歯を出したくて。寝るときも、うつ伏せで寝ていた。

師匠 明石家さんま


直接は会えない。マネージャーを通さないといけない。

金がなくなったら、マネージャーに「さんまさんに会いに行きますから」と電話する。

会って1週間分の生活費をもらう。そこそこもらっているが、使ってしまう。

本格的に復帰するにあたって「そりゃお前のために1本やらなあかんな」と言われた。

さんまプロデュースで『(ドラマ)ジミー物語』をやってくれる。

IMALUが語るジミー大西の思い出


生まれた頃からずっとお世話になっている。父の手伝いをしてくれていた流れで、いつも遊んでもらっていた。今考えると、ジミーさんに子守りをやらせていたうちの親もスゴイことするなと思う。「昔々あるところに…って昔っていつやねん」とかツッコみながら絵本を読んでくれた。

kitsonxジミー大西コラボバッグ(2012年)を今でも大事に使っている。1年か2年前にジミーさんと会ったときに「また新しいの作ってよ」とお願いしたら「IMALUちゃんが頼んでや」と言われた。まだそんな力はないので、父に頼んでもらえたらうれしい。またコラボグッズも楽しみにしている。今度、家族みんなでご飯一緒に行きましょう。応援しています。

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大竹しのぶは、絵本を読むのがうまい。ジミー大西は漢字を飛ばす。また、句読点がないので歌になってしまう。

結婚して19年。芸能界復帰に対して、奥さんは「ついて行ける?今のお笑いに」

家のことはやっている。料理ができる。

ジミー大西の自宅プライベート


ジミー風チキン竜田を作った。鶏に線を入れ、10秒ほどサイダーにつける(肉が軟らかくなる)。衣をつけ、焼きながら味付け。表裏に塩コショウ。盛り付けはレタスにプチトマト。

いつも台所で絵を描いている。20年間。キッチンが一番落ち着く。

LEDの電気の下じゃないと色がわからない。台所にしかLEDがない。




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