2016年7月2日はメレンゲの気持ちはお休み。

12:00からTHE MUSIC DAY 夏のはじまり。が放送された。

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石井竜也 『浪漫飛行』 1990年
沖縄で歌ったのは初めて。歌う前、釣りをしていた。


岩崎宏美 『シンデレラ・ハネムーン』 1978年
第20回日本レコード大賞 金賞受賞
2015年4月デビュー40周年

忘れられない夏の思い出
日比谷の野音でコンサートをしているとき、貧血で倒れた。
紙テープが膝くらいまであったので、顔からころんだが怪我しなかった。


SIAM SHADE 『1/3の純情な感情』 1997年
2016年デビュー20周年 THE MUSIC DAY初出演

海に行って素潜りしたとき、大きなカニがいて興奮して銛のゴムを離して足に貫通してしまった。

また大きなカニがいて、今度は銛のゴムを棒からキャップごと外して刺そうとしたが刺さらず、手でやったら手に穴が空いた。


ジュディ・オング 『魅せられて』 1979年
2016年歌手デビュー50周年。
200万枚を越すミリオンセラー。ドレスはエーゲ海の映像を映すためにデザインされたスクリーンドレスで話題になった。

忘れられないエピソード
知らない方(MSさん)から定期的にバラと手紙が届いていた。花屋に聞いても教えてもらえない。カードには「心がくじけて生きていくことが嫌になった時に『魅せられて』を聞いたら元気になって、また頑張んなきゃいけないと思う」

ジュディ・オング自身が疲れて帰った時に花が届けられていると、頑張ってまた歌おうという気持ちになれた。感謝している。


大野智が氷琴を作り、氷琴五重奏。

秋川雅史 『翼をください』 1971年
毎年夏にすることは、カブトムシの採取と繁殖。来週行く。

この間、熊本の避難所に慰問に行ってきた。音楽が持つ力はすごく強いと思った。今日も熊本まで魂が届けばいいなと思っている。


モーニング娘。’16 『泡沫サタデーナイト』 


坂崎茂(THE ALFEE 坂崎幸之助TOKIO 城島茂)が会社訪問流しを決行。

クックパッド株式会社で『バンザイ~好きでよかった~』1996年


石野真子 『ワンダー・ブギ』 1979年
夏といえばカブトムシ。

昔、おおらかな時代だったので、生番組がたくさんあって時間がないというときに、移動のとき警察官が先導してくれた。


早見優 『夏色のナンシー』 1983年
夏といえばホタル。

臨海学校で東北に行った時に、曲がベストテン入りして中継した。


浅香唯 『C-Girl』 1988年
毎年夏にすること
娘と一緒にプールを予定している。

警察官に結構、助けてもらった。パトカーで移動した。


NMB48 『僕はいない』

SKE48 『パレオはエメラルド』 2011年


HKT48 『メロンジュース』 2013年


イルカ 『なごり雪』 1975年
故郷と都会をつなぐ切ない恋心を描いた歌詞。40年たった今も歌い継がれる。

『なごり雪』誕生の知らざれるエピソード
元々、夫 神部和夫シュリークスというフォークグループを組んでいた。

ヒット曲に恵まれないまま月日が流れ、解散して神部和夫がプロデューサーに。イルカを必ず成功させるため、裏方に徹することを決めた。

そして1年が経過した夏の日。かぐや姫の名曲『なごり雪』をカバーすれば必ずヒットすると信じ、イルカに打診したが「かぐや姫に申し訳ない」と断られる。

一度決めたら考えを曲げないイルカの性格を誰よりも知る夫がとった作戦は『なごり雪』を聴かせ続け、レコーディングの日を決めてしまった。

イルカはスタジオに入ってからも何もまだ吹っ切れなくて葛藤していた。「本当に歌っていいもんなんだろうか?」

そこに意外な人物が現れる。『なごり雪』を作詞・作曲したかぐや姫の伊勢正三

イルカが歌う『なごり雪』をどうしてもたくさんの人に聴かせたい夫は、何度も頭を下げ、カバーする許しを求め続けた。

作者である伊勢正三が「歌ってくれたら僕はうれしいな」と言ってくれるんだったら歌おうかなと思った。そこからは一切迷いがなかった。

80万枚の大ヒットとなり、イルカのアーティストとしての道が動き始めた。

その幸せは突如暗転する。夫がパーキンソン病を発症。脳の異常により体が思うように動かせなくなる難病は、夫の体から自由を奪っていった。

プロデューサーとして支えてくれた夫を次は私が支える番だと思ったイルカは「私 歌手を辞めてあなたの介護に専念する」

ものすごく怒られた。一番喜んでもらえるのはイルカとして頑張っている姿を見てもらうことだと気づく。

それから夫のリハビリ施設がある旭川と東京を行き来し、介護を続けながらも歌手として『なごり雪』を歌い続けた。

しかし、2007年3月、20年におよぶ介護の末、夫 神部和夫は帰らぬ人となった。享年59。

夫には、イルカはたくさんの人々に愛と夢を届けるのが仕事だよと言われていた。夫はイルカがいい歌を歌うことを楽しみにしていた。

夫の支えと深い愛から生まれた『なごり雪』をイルカは今も大切に歌い続けている。

2016年でデビュー45周年。


鈴木雅之
2016年でソロデビュー30周年。


ゴスペラーズ、Little Glee Monsterとコラボ。気心知れた仲間たちと鈴木雅之の音楽の歴史をラブソングでたどった。

ランナウェイ』 1980年
渋谷で5時』 1996年
ガラス越しに消えた夏』 1986年

Kiroro 『未来へ』 1998年
発売6年前に玉城が初めて書いた歌。前向きに未来へ歩む歌詞が人々の共感を呼び、高校の教科書に掲載されるなど時代をこえて愛されている。

『未来へ』誕生の知られざるエピソード
玉城が中学3年生のとき、今まで病気をしたことがない母の苦しそうな姿を見て、母親がいなくなる悲しさを感じた。

重い病気なのかもしれない、この先短いのかもしれないと、初めて不安になった。

そのとき玉城がとった行動が、今まで言えなかった気持ちを歌にして伝えること。

歌詞に母との思い出をたくさん詰め込んだ。幼いころ玉城が歌うといつも優しく微笑んで聴いてくれた母。「千春 本当に歌が上手だね」という言葉で歌手を目指すようになった。

数々のオーディションを受けるも、その道は遠かった。「大丈夫 千春の歌は素敵だよ」いつも優しく支えてくれた母。

ところが、言い合いをたくさんしてしゃべらなかったり、怒ったり。振り返った時に、ありがとうも言えていない、わがままばかり言っていたと気づくキッカケになった。

1週間かけて作った曲をカセットテープに吹き込み母の元へ。ただの風邪だった。「あんた勝手に人を死なせないでよ」

元気になったのがうれしくて「それ聴きたいな」と言うのでカセットテープを聴いてもらった。

玉城の誤解から生まれた『未来へ』。母への感謝を綴った娘の真っ直ぐな思いが込められている。


二宮和也のちっちゃな野望
花火で童謡『きらきら星』を奏でた。


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