2016年5月7日放送のメレンゲの気持ちで、ヒロミ51歳が共演NGなゲスト、1番キレた出来事、ビートたけしの豪快伝説・感動秘話、MCは儲かるか、アシスタントにするなら誰か、番宣に来る人をどう思うか、引退は考えているか、息子のことなどを語った。倉庫も公開。

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昔は10本とか出ていたが、今は呼ばれれば行くタイプ。

芸能界の大物にもガツガツいくが、小堺一機にはちゃんとしている。何か言うタイミングがなかった。

『ごきげんよう』に行って会うしかない。30分の間に「おう小堺」とか言うタイミングがない。何かいけない雰囲気があった。

・共演NGなゲストは?


相手がNGの場合のほうが多いと思う。共演NGはほとんどない。

さまぁ~ずの三村はヒロミと会うのが怖くて嫌だった。ヒロミはかわいがっていたつもりだったが、それが嫌だったよう。

ヒロミはタモリにも「ねえタモちゃ~ん」と言って肩に寄りかかる。傍から見るとヒヤッとする。

・1番キレた出来事は?


殴ったりもあったかも。昔は、カメラマンはカメラアシスタントを蹴っていたし、ディレクターはずっと怒られていた。殺伐とした中で笑いをやっていた。

蹴り方が尋常ではなかった。特に日本テレビはすごかった。TBSはマジメで民放のNHKとか言われていた。

番組をやめたことがある。何か嫌だった。当時はやめていいと思っていた。20代の頃。

ビートたけしが、お化けを見て眠れなかったから来ないとか。ひょうきん族とか、それでしょっちゅうなくなっていた。ビートたけしが来るかどうか明石家さんまがギャグにしていたくらい。

上岡龍太郎と番組をやっていたとき。上岡龍太郎は、心霊とか超能力とか大嫌い。ゲストがユリ・ゲラーだった。スタッフから「(上岡龍太郎が)帰ったらお願いします」と言われていた。「お前はインチキだ」と言って、案の定帰った。

堺正章も昔は怖かった。イジれない人だった。
「ねぇマチャアキ」と言ったら完全にシカトされた。

芸能界をやめたとき、堺正章に干されたからというウワサがあった。

堺正章に「そんなウワサあるけどどうなの?」と聞いたら「俺にそんな力があったら、もっと干したい奴がいる」と言った。

ビートたけし 豪快伝説


久本雅美によると、毎日、会うと1万円が入っている、ビートたけしがデザインした袋をくれる。

ビートたけしの楽屋は入れない雰囲気がある。おつきの人やマネージャーが表にいて誰も入らない。「たけしさんいる?」と言うと「いますけど」と言うが、入ってほしくない雰囲気。

20代の当時はグイグイいっていたので、構わず入って「おじさん 今日はどこ行くんですか?」と言って強引についていった。

支払はカードは持たずに現金。わざとなのか酔っ払うと工事作業員に1万円ずつチップを渡す。

次の飲み屋で払うときに「金ねぇ お前盗んだな」というようなことを、そばで体験した。

ビートたけし 感動秘話


1994年にバイクで交通事故を起こし、テレビ復帰まで約半年かかる重症を負った。

スポーツジムが同じだったが、入院していたので会えなかった。テレビ復帰会見の前に、サウナにビートたけしがいた。

まだちゃんとしゃべれなかったが、一生懸命しゃべろうとして、いろいろなことを言う。

「針金が入っていて抜くとき痛えのなんの おでんの気持ちがわかったよ」

サウナで汗だくだったが「この人、俺を笑わせようと思ってる」と思って涙が出た。これを話すたびに鳥肌が立つ。

恵俊彰は30年やっていて、この前初めて楽屋に入った。とんねるずの石橋貴明らと並んで写真を撮るとき「お前も一緒に入れよ」と言われて撮ったとき、泣きそうになった。

テレビの仕事を全然やっていないとき、ジムが一緒なのでたまにビートたけしに会った。

「お前さ商売うまくいってんだろ?儲かっちゃってテレビ出ないって芸能界の噂だぞ お前が一番儲かってる」「一番儲かってるのはおじさんです」

テレビに出ていなかったので自分のことなど忘れていると思っていた。

ゴルフの打ちっぱなしで隣が明石家さんまだった。気づかれないようにやっていたら、ず~っとしゃべっていた。「あ~曲がった 俺の人生と一緒や」とか。結局、気づかれて「ヒロミやん」忘れられてはいなかった。


・MCって儲かります?ギャラはいくら?


昔MCを同時に10本やっていた時期もある。そのときは儲かった。

27歳で個人事務所を設立し、プロダクション人力舎から独立した。仕事を始めて4・5年のとき、「社長 オレ独立するわ」と言ったら、ヒロミはわがままだったので「うんその方がいい」と言われた。

他の事務所に行くのはダメだと言われた。「個人でやるならいい。最初大変だからデスク1個貸してやる 電話を引いて会社をやりなさい その代わりちょっと頂戴ね」

当時、会社の売上は、最高で月6000万円

・アシスタントにするなら誰?


自由にしたいから、アシスタントはいた方がいい。

今まででやりやすかったのは小島瑠璃子。22歳だが天才だと思う。アナウンサーっぽいこともできるし、あの若さでどこで覚えたんだろうと思う。

小堺一機は土曜日に小島瑠璃子とスポーツ番組をやっている。今この流れで何が一番いいか、ツボがわかっている。恐ろしい。

番宣のためだけに来てやる気を出さない人をどう思うか


いない間に番宣で俳優が出てくるようになった。昔は、俳優がバラエティーに出ることはあまりなかった。全部終わってから、最後に告知が入るくらいだった。お笑いがドラマに行っていた。

番宣はしない方がいいと思う。役を演じているのに、タレントとして出ないといけない。たとえば「水戸黄門(番宣)やっちゃダメでしょ」と思う。

笑っていいとも!』などで二枚目がおしゃべりっだったとか「実はこういう人です」というのが流行り出したが、素を先に見せると、観る方が苦労しないといけない。ある意味もったいない。

・引退は考えてる?


経験がある感じもある。雇われ業者なので「呼ばれなくなったら」という覚悟は始めた時からある。

芸能界に何とかと思って一生懸命やっていても、なくなったときに、どうなっちゃうんだろうな、死んじゃうのかなと思ったが、意外に楽だった。

なくなったときに、これはこれで、わかりました、という感覚があった。いつかこんなのはなくなると、若い頃から受け入れ体制があったのだろう。

10年くらい出ていないとき、忘れられちゃえばいいのにと思っていた。小学生、中学生、高校生、20歳くらいまでには、普通の人に思われた。

50代~70代くらいの人は、街であった瞬間に「ヒロミちゃん何やってるの?毎日観てるわよ」と言われた。

長男 小園凌央 20歳



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二男は18歳。

長男がドラマで俳優デビュー。勝手に事務所のオーディションを受けて受かった。

「親御さんに会いたい」ということで松本伊代がマスクをして行ったが、気づかれずに受かった。

社長が友達だったので「オーディションを受けたらしい」と話したら社長は「聞いてない」事務所スタッフに確認したら、本当に気づいていなかった。

たまたまネットニュースを見ていたら「大したことない」みたいなことを書かれていた。

可哀想だと思って呼んで「出ると、そういうことも書かれることもわかってやりなさい」「わかってる」「親の七光りといっても俺とママにはドラマの才能全くない 光のないところに行くんだから真っ暗闇だぞ」

倉庫を公開


キャンプ道具、ランタン、ランプ、テント、寝袋、テーブル、イス、登山グッズ、自転車&作業コーナー。

『有吉ゼミ』八王子リフォームの工具。マイDIY工具。工具を全部車に積んで行く。

いつでも遊びにいける。

朝起きて気分で何をするか決める。思いつき。


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