2016年4月23日放送のメレンゲの気持ちで、三田寛子50歳が旦那 中村橋之助による誕生日サプライズ、馴れ初めプロポースデート、中村家の元旦、宝物、襲名披露、跡継ぎ出産のプレッシャー、梨園の母としての苦労、息子の彼女、花嫁修業などについて語った。
平成生まれ100人に聞いた三田寛子に本当に聞きたい質問「何でデビューしたのか?」と三田寛子のイメージも。

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梨園に嫁いで25年


恋愛結婚で3年半付き合ってやっと結婚できるので、嬉しさで梨園の妻になることについてあまり深く考えなかった。

婚約して結婚までの間にいろいろ仕事をしていたときに、いろいろな局の廊下で先輩に会うと「お前大丈夫か?」とか「やめろ」とか会う人会う人に、お悔やみみたいに言われて初めて大変なところにお嫁に行くのかな?と思った。

50歳になっても、気分は15歳の時にデビューして東京に来たときのまま。

旦那 中村橋之助


中村橋之助は照れ屋なので、アニバーサリーとかサプライズとかプレゼントとか全然できないタイプだったが、50歳の誕生日は節目ということで一生懸命に考えてくれた。

ホテルでディナーを予約したり、家族写真用のカメラマンを手配したり、エタニティリングを購入したりしてくれた。

ところが、当日の朝にインフルエンザにかかって、中村橋之助は欠席で息子3人と4人だけの誕生日会だった。

中村橋之助との馴れ初め


一番最初に会ったのは、三田寛子が出演した、男はつらいよ『寅次郎サラダ記念日』(1988年公開、監督:山田洋次)を撮っていたとき。


撮影現場に中村橋之助がお菓子とか持って陣中見舞いに来た。

中村橋之助は、ひとつ前の映画『ダウンタウン・ヒーローズ』(1988年公開、監督:山田洋次)に初出演していた。


山田洋次監督と渥美清が「一緒にご飯食べていきなさい」ということで紹介された。

中村橋之助からのプロポーズ


「結婚を前提に真面目なお付き合いをさせてもらいたいんですが」

交際中のデート


昔の芸能界はすごく厳しくて、男女交際とかは全然なかった。あってもおおっぴらにご飯を食べたりできなかった。

中村橋之助は「歌舞伎座で芝居終わったら(銀座四丁目)和光の前で待ち合わせしよう」と、最初からオープンだった。

グループ交際ではないデートは憧れだった。化粧してコサージュを付けた。

銀座レカンでケーキを頼む時、バレないように「チーズケーキ」と低い声で頼んだ。

中村橋之助は免許を持っていなかったので三田寛子が運転した。

中村橋之助に「今日は僕の一番気に入った曲を君に聞いてもらいたい。」と言われた。長唄だった。急に「よぉ~」三味線が「チャチャチャン」

中村家のプライベート


2016年元日。これから弟子が来て正月の準備を始めるところで何もしていない。息子達におとそを振る舞う。

三男 宜生に中村橋之助が「君は内向的に溜めちゃう、自分で処理をしようとするほうだから、マスからはみ出して字を書いてください」

重箱は明治時代から中村家で代々受け継がれている柴田是真作の国宝級の重箱なので、三田寛子は怖くて触れない。

おせちは200年続く江戸懐石の宗家・近茶流 柳原一成、尚之作の高級おせち。

雑煮は三田寛子が作った。江戸風の近茶流で習った。鶏は霜降りして臭みを消して鰹と昆布でだしを取った。

三田寛子の宝物


子供が学校で作ったもの。三男 宜生は小さい時から歌舞伎をモチーフにしたものを作るのが大好きだった。

50歳の誕生日記念の家族写真と、その時にもらったバースデーカード

2016年10月11月に襲名披露興行を行うために、Tシャツ、風呂敷などデザインをいろいろとみんなで考えて準備している。

中村橋之助 改め 八代目 中村芝翫 襲名披露
中村国生(20歳) 改め 四代目 中村橋之助 襲名披露 歌舞伎座
中村宗生(18歳) 改め 三代目 中村福之助 襲名披露 10月『十月大歌舞伎』
中村宜生(14歳) 改め 四代目 中村歌之助 襲名披露 11月『吉例顔見世大歌舞伎』

跡継ぎ出産のプレッシャー


義母や義姉 女性陣は子供を生む過程で苦労があったので、義母や義姉も先輩のお姉さま方も「気にしなくていいわよ」「女の子だって芸養子を立派に育てればいい」とプレッシャーにならないように言ってくれた。

男でも女でもとにかく元気な赤ちゃんをと思ってスタートしたが、5年間子供ができなかった。ようやく授かったら流産

そのときは人生始まって以来の大ピンチ。その時だけは全く笑えなくなった。

3人も男の子を授かってありがたい。

梨園の母としての苦労


三田寛子の血が半分入っているので、いざ歌舞伎役者をやりたいと言っても、才能やドジなところが遺伝して子供に迷惑がかかったり、家に迷惑がかかったりしたらどうしようと思って、子供が寝ている間に耳元で「歌舞伎は継がなくていいよ」と言っていた。

長男、二男が高校に上がる時「勉強をして歌舞伎の道に入りたい」と言ってきた。3人とも歌舞伎が大好き。

3人でいつもお芝居ごっこをして遊んでいる。

年頃の息子達に彼女は?


「特別な人ができたら教えてね」と言っているが、まだ何も教えてくれない。

未来のお嫁さん


3人もお嫁さんが来ると、ただでさえ殺風景な4人の汚らしい野郎どもがいるので、花が咲いたよう。女性が3人入ってきてくれるとうれしい。

一番大変だったこと


中村橋之助の奥さん、成駒屋の嫁としていろいろなシチュエーションでいろいろなことを経験することがある。

たしなみとして茶道や華道などいろいろな花嫁修業的な、季節を通してのマナーと料理(和洋中)を習いに行っている。

結婚してから義母に連れて行ってもらった。一緒に絵を習ったり、お稽古事は週に3~4回。

歌舞伎界は厳しいとか、なんやかや言われるが、同じ釜の飯でみんなで頑張っている感じ。

他のお姉さま方も、お姑さん同様に、優しく親切に教えてくれて居心地がいい。

平成生まれ100人に聞いた三田寛子に本当に聞きたい質問


平成生まれ100人が三田寛子に質問。伊野尾が気に入ったものをピックアップ。

三田寛子のイメージ


きれい。ちょっと気が強そう。
旦那さんが優しそう。旦那に上からだと思う。「早く行って」みたいな。
いざとなったら強い。
気が強い

お金持ちそう。
週一伊勢海老を食べてそう。
畳が一面にあってすごく広い家に住んでいる。
2階建てじゃない。平らに広そう。
広い平屋に住んでそう

何でデビューしたのか?


今思い出すとつい昨日のことのよう。
2年B組仙八先生』という金八先生シリーズの中の

仙八先生役 さとう宗幸(当時32歳)、高坂ひとみ役 三田寛子(当時15歳)

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ドラマで1年間。山口百恵に憧れて東京に来たので、その後、歌もやってみたいということでアイドル歌手に。

アイドル時代
ザ・トップテン』(1982年放送)当時16歳

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駆けてきた処女(おとめ)』 作詞:阿木耀子 作曲:井上陽水
楽曲はよかったが、歌が下手だった。


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