スポンサーリンク
父親の俳優 蟹江敬三は、寡黙で人見知りで全くしゃべらない。蟹江一平とは真逆。
蟹江一平10歳、蟹江敬三41歳のときの写真
蟹江一平22歳、蟹江敬三51歳のときの写真
蟹江敬三はカメラと目線を合わせなかった。
蟹江敬三が無口だったので、蟹江一平が家庭内でトークを展開しないと暗い家庭になってしまう。
蟹江一平が小4くらいのときに『スケバン刑事』をやっていて、自分の父親が、それまで思っていた大工ではなく役者だとわかった。
役者のようなきらびやかな芸能界的な匂いは全く無かった。
父親の蟹江敬三が『スケバン刑事』で共演していたので、南野陽子のサインを頼まれた。
中1の時帰り道で、本格的にヤンキーみたいな中3軍団に遭遇して「敬三さんのサインはもらえないかもしれないけど、ナンノぐらいならもらえるだろ?」
と言われ、文房具店で色紙を買って、nannoと書いて渡したら
「すげぇ~ ナンノ すげぇ」
学校行事にはほぼ来なかったが、鉄棒とかウンテイがある人混みの奥の方になんとなく目が行ったら、キャップを被った黒いサングラスをかけた休日の佐村河内守みたいな人がいた。
15分くらいして、また見たらいなくなっていた。
蟹江敬三の素顔
蟹江一平16歳、蟹江敬三47歳のときの写真
仕事からすぐに家に帰ってきた。
酒は飲むが家で晩酌。
酔ってもキャラはそんなに変わらない人だったと思うので、一人で飲み屋に入って、「よっ大将」とか言うのが多分出来なかったのだと思う。シャイすぎて。
家に帰って息子のトークを聞いて、巨人戦のナイターを観ながら飲んだ。
20歳の時にバイトを1年間していた。
そこの工事現場の親方に気に入られて、親方に言われた。
「蟹江くんて蟹江さんの息子でしょ。そこそこ顔もいいし、トークもそこそこ面白いから役者とかいけるんじゃない?」と3回ぐらい言われて、「いけるんじゃないか」とその気になった。
養成所のガイドブックに西田敏行の写真があって
「君もやってみないか?」とフキダシがあった。
西田敏行を知っていたので、青年座の養成所に入ったが、そこから15年は地獄だった。
蟹江敬三の最期
2014年の3月に胃がんで他界。
無口で人見知りで役者的なことは何も教えてくれなかった。
亡くなる時にはカッコつけて欲しかった。
最後に何か教えてくれないかなと思ったが、なかった。
自分が癌に侵されるとは思っていなかったし、家族も伝えなかった。
すぐ直して、何にもなかったかのように出て行くから
「一平はヘラヘラしているのが持ち味なんだから現場でもヘラヘラしててくれよ」
現場で「お父さん元気?」と言われて、元気ではないが「元気です」
亡くなって5日後に公表したが、その間にも聞かれて、既にこの世にいないのに「元気です」と言わなければいけなかった。地獄だった。きつかった。
渡辺えりからは公表後5秒でメールが来て、絵文字の土下座が並んでいた。「私ごめん何も気付かなかった」
2015年が明けて、やっと食べていけると思った。
最近はやや売れじゃないくらい忙しくなって、”やや売れ2世俳優”が恥ずかしくなってきた。
最近フレーズを変えて”じょじょ売れ俳優 蟹江一平”
蟹江一平の超変わった私生活
蟹江一平の4Sライフ
1つ目のSはSing。ノンストップで8曲を熱唱。午前5時閉店で帰る。
2つ目のSはSento(銭湯)。川越の小江戸はつかり温泉の岩盤浴。45℃。熱く焼かれた溶岩石に水をかけて、出た水蒸気をタオルを回して室内に広げる。
3つ目のSはShachuhaku(車中泊)愛車で眠る。
4つ目のSはSha(シャ~)スポーツサイクル。
27万円の中古の軽自動車に乗り続けているが、ちょうどいい狭さ。ハイエース的な大きいのだと広いし、セダンだと天井が低い。軽自動車がちょうどいい。
リクライニングして、ネットなどやるとそのまま4時間寝てしまう。
週4車中泊。
結婚している。32歳くらいで結婚した。奥さんは4歳下。元は事務所スタッフ。
職業柄、束縛されるのが苦手だったので、自由でいきたいということを言い続けた。
諦め9割だろう。
スポンサーリンク
コメント (0)
コメントを書く