朝ドラ『ごちそうさん』で杏演じるヒロインの小姑役として出演し、その印象が強いが、普段は、明るくて、元気で、優しい。
大学在学中に演劇に目覚め、1984年に旗揚げした『劇団M.O.P.』の看板女優として活躍。
数多くの舞台・映画に出演し、1997年紀伊國屋演劇賞個人賞、2005年読売演劇大賞優秀女優賞を受賞するなど、演技派女優としての地位を確立。
2013年NHK『ごちそうさん』で主人公をいびる小姑 和枝役を熱演し、人気が全国区に。
『海街diary』、『医龍』、『駆込み女と駆出し男』、『悪夢ちゃん』など話題の映画、ドラマに出演し、存在感ある名脇役として引っ張りだこ。
実はかなりの苦労人のキムラ緑子の女優人生に迫る。
小さい頃は歌手になりたかった。
両親は淡路島出身で大阪で出会い大阪で暮らしていたが、1人だけ淡路島の叔母の家に預けられていた。
3歳くらいから幼稚園に預けられて、叔父叔母の前でいつも歌を歌っていた。
叔父叔母が「うまいうまい」と楽しんでくれる姿を見て、歌を歌うとみんなが喜んでくれると子供心に思って歌手になろうかなと。
落ち着きのない子だった。今でも落ち着きがない。
あだ名は、よく笑うのでゲラリ子。
11歳当時の写真
叔母が何でも屋をやっていて、お菓子を好きなだけ食べられたので、中学校のときは太っていた。
あだ名が一二三(ひふみ)ちゃん。一重まぶたで二重あごで三段腹。
一二三ちゃん時代の写真 当時15歳
高校生になるときにダイエットした。3ヶ月で15kg以上落とした。
めちゃくちゃモテた。
一日に何回声かけられるか正の字を付けていた。歩くと声をかけられた。
高校時代の写真
大学に入って役者を始めた。
同じマンションに住んでいた友達が、高校時代から演劇をやっていた。
当時、小劇団ブームで学生時代に演劇をやっている人が多かった。
その子に連れて行かれて見に行ったのが最初。
大学時代から女優の道へ
成功までの道には苦労があった。
苦労人キムラ緑子の知られざる過去
・車と引き換えに役者の夢を諦める
学校を卒業して学生演劇をずっとやっていた。
親が車を買ってやるから帰って来いというから、地元の淡路島に1回帰って、塾の先生をやっていた。好きな人もいたので、結婚するつもりで淡路島で暮らしていた。
3年間すごく楽しかった。後から考えると、塾は一人芝居のようで面白かった。
買ってもらった車に布団とか全部詰めた。
夢が諦めきれないことを彼氏に告げると、一緒に貯めていた金をくれた。
・アルバイト時代に極妻にスカウトされる
当時、女子大生バブル時代。
祇園で一流の芸子さんがやっている笛吹きの名手だったところでバイトをしていた。
そこで東映のお偉いさん達が「出てみるか?」
27歳のときに『極道の妻たち 三代目姐』1989年に出演。
映画初出演は26年前。かたせ梨乃当時31歳、坂上忍当時21歳。
坂上忍とは、この時初めて会って、京都でご飯を食べたりしていた。
キムラ緑子の私生活
『喜劇 有頂天旅館』の本番20分前
楽屋でご飯を食べる時間があまりないので、友人のよしこちゃんが毎日作ってきてくれる。
玉ねぎと湯葉とじゃこのサラダ、小松菜と湯揚げの煮びたし、パイナップルとキウイ、おにぎらず、BIO。
本番15分前の渡辺えりの楽屋
自宅には友だちが作ったパワーストーンが入っている鏡がある。
石とか木のものが好きで見ていると心がなごむ。
うまくなりたいと思って買った楽器。ウクレレ、三味線、トランペット、琴。
きっと出来ると思いながら捨てないで置いてある。
癒してくれる猫が2匹いる。
ミッチュ(左)とポン(右)
自宅の屋上は周りがぐるりと見渡せる。
よくテーブルの上に乗って空を眺めているのが好き。
空じゅうが自分のものみたいな感じになる。
劇団をやっていたときの劇団長と結婚。
マキノノゾミ当時33歳、キムラ緑子当時31歳。
旦那は作家と演出をしている。
力を持っている演出家と結婚していることで良い役をもらえているのではないかと噂になった。
それに腹が立って離婚。
2011年に復縁。5年間別れていた。震災があった時に「この人がいた方がいいな」と。
主人マキノノゾミからアンケートの回答
・キムラ緑子のここに惚れたので結婚した一番のポイントは?
生命力が強そうなところ。一緒にいたらずっと食いっぱぐれがない感じがした。2人とも超貧乏だったので根拠はなかったが。あと綺麗。
・2人で生活を始めて一番驚いたことは?
喧嘩をしていて寝始めたときに枕で殴られたこと。三十数年生きていてあんなに怖い思いをしたことはなかった。
すごいボヤッとした人だったので、新婚当時、どこまでいったら怒るのか試したかった。
それ以来キムラ緑子より先に寝なくなった。
・一番好きなところは?
私と結婚してくれたこと。
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